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バタビア (ニューヨーク州) : ウィキペディア日本語版
バタビア (ニューヨーク州)

バタビア()は、アメリカ合衆国ニューヨーク州西部、ジェネシー郡にある都市であり、同郡の郡庁所在地である。ジェネシー郡の中心近くに位置し、周りをバタビア町に囲まれている。2010年国勢調査での人口は15,465 人だった。バタビアという市名は、オランダのベーチュウェ地方のラテン語読みであり、開拓初期のオランダ人開発業者の栄誉としたものである〔Genesee County webpage 〕。
バタビア市は、ニューヨーク・ペンリーグに属するバタビア・マクドッグス野球クラブが本拠にしており、バンク通り299のドワイヤ・スタジアムでホームゲームを行っている。マイアミ・マーリンズの傘下である〔http://www.milb.com/index.jsp?sid=t511〕。2008年のシーズンは優勝した。2006年、全国的な雑誌が小都市圏の経済発展を評価して、その第3位にバタビアを挙げた。
ニューヨーク州スルーウェイ(州間高速道路90号線)が市内を通っている。ジェネシー郡空港 (GVQ) が市の北にある。
== 歴史 ==

=== オランダ土地会社 ===

現在バタビア市となっている場所は、ニューヨーク州最西部にある今日「ジェネシー・カントリー」と呼ばれる地域の初期開拓地であり、ジェネシー・バレーと西のナイアガラ川エリー湖ペンシルベニア州との州境で構成されている。ニューヨーク州西部で購入された土地(オランダ買収)は、 3,250,000 エーカー (13,150 km²) あり、ジェネシー川の西にあるフェルプス・アンド・ゴーラム買収の一部だった。アメリカ独立戦争時の著名な銀行家ロバート・モリスから、オランダ銀行家のコンソーシアムであるオランダ土地会社が1792年12月、1793年2月、1793年7月に購入した。
バタビアのビレッジは1802年にオランダ土地会社の代理人であるジョセフ・エリコットが設立した〔History of Batavia, New York from ''Our County and Its People: A Descriptive and Biographical Record of Genesee County, New York (1899)〕。バタビアはオランダ土地会社の栄誉を称え、短命に終わったバタヴィア共和国(1795年-1806年)にちなんで名付けられた。そのバタヴィア共和国は、オランダの中部ライン・マース・デルタ地域に住んだ古代ゲルマンの部族、バタウイー族から名付けられていた。ローカントリー(オランダ)のルネッサンス期’1500年代)とオランダ黄金時代(1600年代)に、オランダの民族主義者が「バタヴィア神話」を作り、古代のバタウィー人はオランダ人の先祖であると論じた〔The Batavian Myth : A Study Pack from the Department of Dutch, University College London〕。現在ベーチュウェと呼ばれる地域は、バタヴィアのオランダ語読みである。
土地売買の条件の1つとして、モリスはインディアンの土地に対する権利を解決する必要があったので、1797年、息子のトマス・モリスにジェニシオーでイロコイ族との交渉を設定させた。大半がセネカ族で占められるイロコイ族インディアン約3,000人がこの交渉の場を訪れた。セネカ族の酋長で雄弁家のレッド・ジャケットが頑なに売却に反対したが、無料で振る舞われた酒や、女性に渡された宝石によって、その影響力はなし崩しにされた。最終的にレッド・ジャケットが折れて、「ビッグツリー条約」に署名した。その条約ではインディアン部族が1つの小部分を除く土地の権利を10万ドルで売却する、とされていた。「ジェネシーの白い女性」と呼ばれたメアリー・ジェミソンは、セネカ族に襲撃されたときに捕まえられ、セネカ族と結婚していた者であり、部族にとって有能な交渉者になることがわかり、彼らのためにさらに有利な条件を引き出すことができた。その交渉でホレイショ・ジョーンズが通訳であり、ウィリアム・ワーズワースがまだ完成していなかった家を交渉の場に提供した。その後土地がジョセフ・エリコットの監督下に測量された。これは当時まで行われた土地の測量でも最大のものであり、画期的なものになった。
会社の代理人としてのエリコットは1802年にバタビアに土地事務所を開いた〔。購入した土地全体が1802年にジェネシー郡と名付けられ、バタビアを郡庁所在地とした。会社は購入地を1846年までに完売し、その後会社を解散した。「土地事務所事業を行う」という言葉は繁栄を表すものであり、この時代にできたものである。その事務所は現在も残っており、博物館になり、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されている。エリコットはバタビアに長年住んだが、バッファローの方が町として大きくなると考えていた。バタビアの大きな通りがエリコット通りと名付けられ、小さな通りもエリコット・アベニューがあり、また町の中心に大きな記念碑が作られた。バタビアは1823年に村として法人化された。
現在ニューヨーク州西部にある郡は全て当初のジェネシー郡から分離したものであり、現在のジェネシー郡は多くの郡の1つに過ぎない。しかし地域としての全体は今でも「ジェネシー・カントリー」と呼ばれている。こうしてバタビアが中核となって、ニューヨーク州西部の他の部分が入植と開発のために開放された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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